たましいの行方

私たちは、今も、そしてあの世に帰ってからも、たましい(スピリット)の存在です。「死して死なない」ものなのです。
ただ、ここは現世。死を迎えたとき、何らかの形での「弔い」をするもの。皆さんも供養に関心を向ける機会があるかもしれませんね。テレビなどでは葬祭関連のコマーシャルなどもよく流れています。
身近に見聞きするテーマであるにもかかわらず、その実、「供養について、本当にわかっているのかな」と感じることもしばしばあります。
たとえば、「樹木葬」。自然に還る形の弔い方として、人気があるようです。ただ、こんな話を聞いて驚きました。樹木葬を考える際、「どのあたりに埋葬されるか」を気にする人がいるのだそうです。「この位置にいます」と示す必要があるなら、それはただ墓石がないというだけで、従来のお墓とさほど変わらないのでは? 「どこそこの樹の下に眠っています」とはっきりわからないと、弔えないのでしょうか?
本当に自然に還ることが第一の目的なら、どの樹の下であろうと気にならないはず。土に還り、樹々や生き物が育つ肥やしにでもなれば…と願う気持ちで選ぶのか、はたまた、美しい花の咲く樹の下に眠れるなんて安らかそうだ…と「イメージ」で選ぶのか。その動機次第では、物質的価値観の強い弔い方になりかねません。自分の死後、自然を育む一助になればいいなと思う気持ちにはまだ大我がありますが、見た目だけを気にしてしまうとしたら、それは物質的。とても残念に感じてしまいます。
「お墓はいらない。死んだら海に散骨してほしい」などと遺言を残す人もいますが、これも同じこと。遺された人たちに迷惑をかけないよう、軽やかに去ろうという気持ちなのかもしれませんが、海洋への影響などを考えると、本当に誰にも迷惑をかけないのかと言えば、疑わしいように感じてしまいます。
厳しい言い方ですが、その弔い方のどこかに「エゴ」が残っていないか、一度じっくり考える必要があるように思います。
墓石の下であれ樹木の下であれ、弔われる最期を迎えることができるのは、ある意味、贅沢なこと。海の向こうでは戦争が起きている地域もあり、亡くなっていった人たちが手厚い弔いを受けられないことも現実問題あるわけです。ただ、それでも、たましいはあの世に向かいます。お墓がないとあの世にいけないわけではありません。
また、事故などで凄惨な最期を迎えたとしても、それは肉体の見た目の話。外見で「たましいの行方」が変わるわけではありません。あの世は、たましいの故郷。そこに帰れば、肉体が感じていた痛みも苦しみも消え去るのです。
お墓にせよ弔い方にせよ、「形」にばかりとらわれすぎていませんか? 「形」ではなく、いかに「心」を込めるかが大切なのです。
どこにいても、想いを向ければ、故人に気持ちは届きます。そして、霊的世界に帰れば、たましいには安らぎが待っています。だから、どうか安心してください。

今日のエクササイズ

いまいちど、弔いの形について考えましょう。


【江原啓之公式ホームページ】
https://www.ehara-hiroyuki.com

  プロフィール 
スピリチュアリスト。オペラ歌手。一般財団法人日本スピリチュアリズム協会代表理事。近著に『お祓い箱 令和八年 御託宣付き』(マガジンハウス)、『家運隆昌 幸運を招き入れる暮らし方』(中央公論新社)、『霊学』(国書刊行会)などがある。

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